当地には住む者はいない小さな庵があり、そのわずか先東方に観月山をのぞみ、専寿庵とよばれていました。
一五六九(永禄十二)年秋、石見の国では尼子氏から毛利氏の支配が広がりゆく頃、安芸の国に生まれ医師となり、出家した一人の僧がこの地に当来しました。その名を龍庵と言いました。人びとに請われ、庵主となり観月山とし、専寿庵と自らの名の龍庵の一字ずつをとり、寺号を「専龍寺」と称し、諸国遍歴の求道の旅を終えました。
一五七九(天正五)年夏、天台宗の流れをくみ、安穏を願い生きていた龍庵は、親鸞聖人の教えに出会い、真宗に転派することとなりました。
それは「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」と、念仏の道場が、親鸞聖人ご入滅後三百余年の時をへて、開きおこされたのです。